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校長室から

8月5日(金)ご心配をおかけしました・・・元気です!

 コロナに感染してしまいました。とてもびっくりしました。なぜなら絶対感染しないだろうと思っていたからです。根拠は、鴛中の中で誰よりも危機管理の意識を高くもち、校舎内外での、手指用消毒液利用度は誰にも負けません。(笑)また、島外を往来した際は、必ず市販の抗原検査キットを使用し、出勤していました。そんな私が感染したのですから、逆に言えば、今は誰がなってもおかしくない状況だと思っています。それでも私は言い続けようと思います。感染症対策は今後もしっかりと継続してお願いしますと。

 待機期間の10日間は、外に出られない不便さと後半は体調も回復したのでヒマでヒマで体をもてあましていました。この間、教職員や地域の方々から、電話やLINEでお見舞いや激励の声をいただき、とても感謝しています。「何かほしいものがあれば買ってきますよ」「家の前の花に水をあげましょうか!」「ところてん食べる?」「クレープ買ってきたよ!」「ホタテ焼き買ってきたよ!」「お大事にしてください!」とてもありがたかったです!

 これまでの保護者文書には、特定の人物をさぐるようなことはしないようにとお願いしていますが、「鴛中の校長コロナになったって」とその日のうちに島中に知れ渡ったみたいですね(笑)。島内ではなかなか秘密裏にはできないものです。これからブログを書いていくうえで、ギクシャクしたくはなかったので、報告させていただきました。ただ、誹謗中傷で直接言われたら、「普通に生活してなったんですから、しゃーないでしょ!」と言いたいです。

 7月27日夏休み前集会の日、節目として保護者、地域の皆さんに日頃の感謝の意をアップしようと思っていましたが、最悪、コロナ感染確定日となってしまいました。夏休み明けからも微力ではありますが、ステキな子ども達のために、全力で学校経営に邁進する覚悟です。

 6、7月は少し心身ともに疲れた感がありました。免疫力も低下したのでしょうか・・・。待機期間明け、少しゆっくりしたいと思います・・・。

 保護者、地域の皆さん、これからも鴛泊中学校の応援をよろしくお願いします!!

【隣の家の教頭先生が毎日水やりをしてくれました!感謝!】

7月21日(木)ヘビーユーザー!?

 今朝、昆布干しのお手伝いで、早朝3時起きでした。利尻の基幹産業である昆布。年々人手が足りなくなっていると、事業者が嘆いています。少しでも力になりたいと、教職員も勤務に支障が出ないようお手伝いをさせてもらっています。また服務の関係で、必ず営利企業等従事許可願を、設置者(教育委員会教育長)に提出しています。

 終わりがけに、一人の女性(30代くらいでしょうか)から声をかけられました。「校長先生のブログおもしろいですね!楽しみにしてます!」と。なんともありがたいことです!地域の方がQRコードを読み取り、ホームページを見てくれているんです!「ありがとうございます!これからも楽しく書かせてもらいます!」と私も答えました。

 保護者だけではなく、地域の皆さんが、本校の教育活動や生徒たちの頑張りを応援してくれているんだと、改めて実感したところです。毎日見てくれているヘビーユーザーさん、これからも鴛泊中学校の応援をお願いします!

 さあ、鴛泊は良い天気になりました!私はこれから稚内に出張です!行ってきます!!

  

7月19日(火)来年はセンターを目指すぞ!

 生徒から、海の日にやっているフェリーの見送り隊やるから見に来て!と言われて行ってみました。吉田教育長もその一味で、何も言わせないぞとばかり法被を渡され、「踊るんでしょ!」と職務命令をかけられました(笑)。

 小学生のころ、将来はダンサーになりたい!と思っていた私は、一番踊りがうまく熟練したいわゆる「レジェンド」を目コピし、デビューを果たしたのです。来年は、本気で踊りをマスターし、センターで踊れるよう精進します!

 汽笛と一緒にゆっくりと船が出る・・・。「いってらっしゃーい!」とみんなが笑顔で叫ぶ・・・。「さようなら!」ではなく「いってらっしゃーい!」なんですね!島の人の心の温かさが感じた一日でした!

 

 

7月15日(金)「夢」のはじまり・・・

 玄関から入ってきた方は、大柄な今の野球選手とは違い、どこにでもいる小柄な男性でした。なのにプロ野球選手として活躍するのですから、ハンパない努力と野球センスの塊なのだと感じました。本日、前北海道日本ハムファイターズの監督、現侍ジャパン監督の栗山英樹氏が来校されました!

 私の息子たちも幼少期から野球をこよなく愛し(!?)、成人になった今もなお、野球を楽しんでいます。少年野球では、「ファイターズキャンプ」に参加したり、「ファイターズJr」のセレクションに参加したりと、いわゆる子どもの「おっかけ」を楽しんでいました。もちろん、ファンクラブにも入会し、札幌ドームにも家族で応援に行ったことを今でも思い出しています。自分が野球をやってきたことや、部活動で野球部の顧問だったことから、子どもに野球を「押しつけ」てしまったのではないかと今でも思っています・・・。

 私も野球をやっていました。小学校3年生から中学校3年生までは札幌のリトルシニアで硬式野球を。高校野球も完全燃焼でした。ただ、高2の秋に肩を壊し、ボールを投げることができなくなったんです。とてもショックでした。甲子園を目指して頑張った3年間も終わり、いつかは自分が甲子園に選手を連れていきたい!また当時の監督の生きざまを見て、「教師になろう!」と決心しました。4年間東京で過ごし、大学を卒業して、そしてこの宗谷に中学校教員として赴任するのです・・・。(なぜ、高校ではなく中学校教員!?次回に続きます・・・)

【鴛泊中学校玄関前でのスナップ!教頭先生は態度がでかく足を広げています(笑)】

 

7月13日(水)「平成」の時代・・・

 私が新採用として教員になったのはもう三十数年前。学校は荒れていました。中学校です。授業を常にエスケープするいわゆる「抜け出し」が何人もいて、授業がない先生が校舎内を回り、生徒たちと話をし、授業に入れるのです。もちろんトイレや体育館の踊り場、校舎内外の隠れたところでタバコを吸っては投げる。たばこの匂いをさせないためにガムをかむ。それを校舎中に吐き散らかす・・・。たばこやガムを拾い集め、生徒指導の毎日でした。部活動が終わり、帰るのはいつも22時を回っています。家に帰って夕食をつくるのもおっくうで、毎日コンビニで弁当か外食が当たり前でした。この体型になったのも、その影響が強いと思います(笑)。今は教職員の「働き方改革」が推進されています。「部活動の改革」も急ピッチです!この話をすると、永遠に書き続けてしまいます。まずはこの辺で・・・。

 先日、大学時代の仲間とLINEで少し交流しました。その中で、全国的に教員の数が減っていることが話題になりました。ある県では、小学校の採用試験一次の倍率が1.0倍だというのです。(まさに受けたら受かる数値だと推測します)びっくりしました!

 教師受難の時代・・・。そんな中、昨日から2日間、2年生が職場体験学習で島内の事業所でたいへんお世話になっています。鴛泊小学校にも、6名の生徒がお世話になっています。私は休み時間の様子を参観しました。小学校教員はまず「遊ぶ」ことができるか?そこがカギですよね(笑)!生徒たちは汗をかきながら児童たちと「遊ぶ」を頑張っていました!

一人でも教師の魅力を感じ、鴛泊地区から未来の「教師」が誕生することを私は願っています!!